歴史探訪のTopPageに移動します 史跡を地図上に配置してみました 橘の歴史を年代順に紹介します
史跡名
年代・所在 説明 写真 備考
みやこ遺跡
弥生時代初期

六角川拡幅改良工事(昭和50年代)に先立って行われた発掘調査で土拡墓・井戸跡等が発掘された。

また土器や石器類(石包丁)など稲作を証明する物も出土している。
郷ノ木遺跡
弥生時代中期 弥生時代前期から中期にかけての住居跡や、土広墓・石棺墓が発掘され、ぼうせい鏡(日本製の鏡)も発見され、この地区では早くから稲作が行われいて、富の蓄積が進み人々の生活が豊かだったと思われる。
潮見遺跡
弥生時代中期 この頃、石の鏃は多かったがこの遺跡からは数多くの鉄製の鏃が出土している。
この事は、この地周辺が稲作を早くから行い非常に豊かだった証拠と思われる。
釈迦時遺跡
弥生時代後期
釈迦寺区
昭和63年道路の拡幅工事の際、発掘調査がおこなわれた。
弥生時代の墓・ほか住居の柱穴等が見られ銅鉾・銅矛・青銅製鉋が出土した。
玉島古墳
6世紀始め
南楢崎区
県下最大の円墳(東西42m、南北48m)
横穴式古墳で南西に方向に入り口がある

羨道が短く初期の古墳と考えられる
【県指定史跡】
潮見古墳
6世紀中ごろ
潮見山中腹
潮見山東山腹に築かれた古墳
・羨道 約7.6m
・玄室 奥行き:3.4 m
この古墳からは豊富な副葬品が出土している
特に、馬具は全国的にも貴重である

墓前祭を行うときは、玄室の中で行っていた

【県指定史跡】
北楢崎古墳
7世紀
北楢崎区
家族墓の形式
・入口に道祖様が祭られていた。
・家族が死んだ場合は、続けて埋葬した。
おつぼ山神籠石
7世紀中ごろ
小野原区
神籠石は古墳時代後期に築成された朝鮮式山城に類する古代史上重要な遺跡である

昭和37年、全国八番目に発見された神籠石で列石の延長は1870mである
ミヤコ遺跡の古墳
7世紀後期? ・上二つ
 中国製 舶来鏡
 銅の精錬技術が高いため銅が腐食していない。当時の生活がゆたがだった証拠。
 破片になっているのは、分家するたびに割って分けたため。
・下三つ
 日本製 (ぼうせい鏡)
 
ドウザマ墓地
8世紀中ごろ
奈良時代
北楢崎区
・45代聖武天皇の遺詔により皇太子に就任した人 ふなど(道祖)王
・応永22年 潮見城主4または5代のころに、皇太子の墓として整備された。
・恵美押勝(藤原仲麻呂)を撃とうとしたが帰り打ち合った。このとき家来としていっしょに戦った橘奈良麻呂は、道祖王の遺骨を分骨して九州に下った。

潮見城跡
1237年頃
潮見山周辺
・橘公業(きんなり)が下ってきたのは嘉禎3年(1237年)で城を作った。
・同時に館(住まい)および武器庫や兵舎・倉庫・訓練広場を潮見川の北西側に建設。これにより潮見川を曲げた。